2011年11月9日水曜日

尾崎豊さんの“遺書”あった「先日からずっと死にたいと…」

でも、だからって自殺はダメでしょう。でもなんで今さら?今まで封印していたのにねー。不思議~。




1980年代から90年代にかけ、「I LOVE YOU」や「卒業」を大ヒットさせ、平成4年に26歳で死去したシンガーソングライター、尾崎豊さんに“遺書”があったことが9日、明らかになった。あす10日発売の月刊誌「文藝春秋」12月号に掲載される。

 遺書を公開したのは、「尾崎豊の遺書『さようなら 私は夢見ます』を執筆したジャーナリストの加賀孝英氏。平成6年に入手していたが、繁美夫人から「(長男の)裕哉(ひろや)が物心つくまで公表しないでほしい」と要請されていたため封印していたという。破ったB5サイズのルーズリーフに書かれたもので、尾崎さんが常に持ち歩いていたセカンドバッグの中に入れてあったという。

《以下抜粋》
 『先立つ不幸をお許しください。

 先日からずっと死にたいと思っていました。

 死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。

   (中略)

 さようなら 私は夢見ます。』

 このほか、尾崎さんの母・絹江さんの遺影の脇におかれていた遺書も死の1カ月後に見つかっており、繁美夫人と裕哉さんへの言葉が記されていた。

《以下抜粋》
 『私はただあなたを愛する名の神でありつづける

   (中略)

 皆の言うことをよく聞いて共に幸せになって下さい。』

 尾崎さんはレコード会社のオーディションをへて昭和58年にシングル「15の夜」でデビュー。「十七歳の地図」や「卒業」などを制作し、学校や社会へのいらだちを叫ぶように歌う姿が若者らの共感を呼び、「10代の教祖」などと称されカリスマ的存在となった。

 しかし平成4年4月25日早朝、東京都内の民家の軒先で、全裸で倒れていたところを発見され、病院に運び込まれたが、午後になって死亡。暴行を受けたような傷やあざがあったことから他殺説や、覚醒剤での逮捕歴があることから薬物中毒死もささやかれたが、警察の発表は「極度の飲酒による肺水腫」だった。

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